過剰な親心 ~ つまずきは成長に不可欠

テスト一週間前のこと。「先生、今度のテストに向けてこれだけやっとけばいいって感じのプリントください。」と小学六年のA君。僕がけげんそうな顔をしていると、「母さんが先生に頼んでもらってこいって言うから」と言葉を続けた。

聞けば、「テストは準備が大切」と母親に言われ、どうテスト準備をするのが効果的かと親子で話し合ったという。ここまではえらい。ところがいくら額を合わせて考えても名案は思い浮かばず、先生ならオールインワンの「これだけプリント」みたいなものを持っているはず、という話になったらしい。

実は、テスト前になると「これだけプリント」を求めてくる生徒が少なくない。多くの場合、子どもの後ろに「きいてごらん」と子どもを後押しする親がいるようだ。子どもをできる限りサポートしてやりたいという熱心な親ではある。が、熱心が過ぎて、数字で見える結果ばかりが気になってしまう。

子どもが「良い点を取りたい」と思うのは良いことだし、親が「良い点を取らせてやりたい」と願う気持ちも分かる。だが、テストを受ける前に、「そっくりな問題」をやって高得点を得たところで、どれだけ意味があるのか。結果が良ければ自信になり、向学心も高まるという点は否定しないが、安易に点をとる術だけを身につけても正しい勉強法を体得したとは言えない。

どんなにできる子であっても「常勝」はない。どこかでつまずき痛い思いをしながら、次には失敗しない方法を考えようとするから、伸びていくのだと思う。

ところが、最近はそのつまずきを「ムダな労力」と考える親が増えていないか。無理なく無駄なく学ばせたいとの思いが高じて、成長に必要な負荷や経験まで省力化するのはマイナスでしかない。

「これだけやっとけば大丈夫」というような魔法の特効薬などあるはずがない。ないものねだりするのはよして、あえてわが子に一言言ってやってほしい。「手間を惜しむとあとで泣くぞ」と。