月別: 2020年2月

勉強への父助言 ~ 押しつけ禁物 焦らずに

「父親の出る幕なんてないんですかね?」と暗い顔をして話すのは小6のF君のお父さん。

いよいよ受験学年。だが、成績は低迷中。そこで「あと1年」を機に、わが子の勉強法を分析してみた。すると、問題点がいくつも出てきた。コレがいかん、アレが悪い、こうしてみろと忠告すると、「わかったから、ほっといてっ!」と子どもにそっぽを向かれてしまった。その上、奥さんにまで「よけいなことしないで」と非難され、へこんでしまったという。

実は、母子二人三脚で進めている受験勉強に、父親が加わると、こうした摩擦が起こりやすい。

摩擦の原因は明らかだ。親子関係には文脈がある。これまで母親と子どもの間で作ってきた親子関係は良くも悪くも「できあがって」いる。そこに父親が文脈を無視し、別の基準を持ち込んでくれば当然「きしむ」。慣れ親しんだ親子関係が不協和音を奏でる。

父親がわが子の教育にかかわることに何の問題もあろうはずがない。ただ、母子の関係と自分の役割を無視して飛び込むのは危険だ。

伸び悩む成績を前に母子が何もしていないはずがない。きびしいバトルが何度となくあったろうし、計り知れないほどの悔し涙も流されているにちがいない。

その背景を知らないまま、口出ししても的外れなアドバイスになりかねない。いくら理屈が通っていても、一方的に押しつけては当然はねつけられる。わかっていてもできないわが子の気持ちを察してやり、父親は敵ではなく味方であることを示してやらなければ、子どもは聞く耳を持とうとはしない。

要するに、ちょっとした気遣い、心配りのできる余裕を持って子どもにかかわればいいのだ。だが、子どもと接する時間の限られた父親の場合、そのわずかな時間で一気に解決をはかろうとするために、失敗してしまいがちなのだ。

焦りは禁物。たとえ子ども相手であっても、良好な関係を築くのに「即席」は利かない。

親の役目 ~ たたかう子どもを見守ろう

「私はわが子に纏足(てんそく)をしているのではないでしょうか」この言葉を聞いたとき、親業とはいかに悩み多きものであるかをあらためて実感させられた。

纏足とは、幼児期から足を布で縛り、足が大きくならないようにするという、かつて中国で女性に対して行われていた風習である。無理やり指を内側に曲げて縛り、歩行の自由を奪うこの奇習は、強制・拘束・制限の象徴と言ってよい。

「わが子に良かれと思ってやっていることも、実は纏足をするように無理を強い、苦痛を与えるだけの独りよがりな愛情なのではないか」。そう思い悩むお母さんの心の中は痛いほどわかる。

中学を受験させることが正しい選択であったのかどうか、途中何度も自問する親は少なくない。友達が元気に遊んでいるのを横目に見ながら塾へ行かせるとき、見たいテレビやしたいゲームを我慢させて机に向かわせているとき、成績が低迷して頭にきてひどく怒ってしまったとき、親は自分の選択に自信が持てなくなるようだ。

だけど心配ご無用。子どもはこの程度の選択でどうこうなってしまうほどヤワな生き物じゃない。挑戦や試練は子どもが成長していくために必要不可欠な要素。つまずいたり、ぶつかったり、すっころんだりして、痛い目に遭いながら、また立ち向かっていくことを繰り返すことで強くなっていく。勉強だけが特別なのではない。スポーツも音楽も芸術も本気でやれば好きだけじゃあやっていられない。つらいことは山ほどある。

親の役目はたたかう彼らをほったらかしにせず、見守って、いざというときに支えてやること、それさえしっかりしていればOKだと思う。

ただ、この選択の可否が合格と不合格という結果でのみはかられると考えるのなら、子どもにとってつらいばかり苦しいだけの纏足になる可能性はある。纏足にするかしないか、要は親の考え方ひとつなのかもしれない。

待てない現代人 ~ 教育、子育て あせらず

「現代人は待てなくなった」と言われる。高速交通網の整備や携帯電話の登場が人から待つ時間を奪った結果、待つという行為自体が困難になったという。こうした現代社会の在り方が背景にあるらしいが、待てない風潮は教育や子育ての世界でも例外ではない。

1週間前に国語の読解力強化の相談を受けたばかりの小6受験生の父親から再度のご相談をいただいた。「先生に言われたように毎日問題を解かせてみたが何の効果も出ない。ウチの子には国語のセンスがないのではないか」と半ばあきらめ気味におっしゃる。まだ始めて1週間、そんなにすぐ結果は出ない。だが、その父親にとっては「まだ1週間」が「もう1週間」になってしまう。それを「センスがない」という一言で片付けられたら子どもの立つ瀬がない。

勉強における時間と結果の相関は、1時間勉強したから1時間分、1週間教えたから1週間分成績が良くなるという等価交換的なものではない。また、子どもは皆同じではなく、早生も晩生もいるはずなのだが、最近は短い時間で結果を求める親が増えてきた。

内田樹氏が『下流志向』で、「世の親たちにとって子どもは自分の製品であり、親の成果は製品にどんな付加価値をつけたかによる。だから目に見えるかたちで、数値化でき、定量的に評価できるかたちで成果を出すことにせかされ、プレッシャーを感じている」というようなことを指摘していたが、おそらく内田氏の見方は正しい。

だが、いくら親があせったところで、子育ては親の勝手で促成栽培の効く代物じゃない。「以下省略」みたいなごまかしはしないで、結果が出るまで愚直に積み上げるプロセスを大事にしたい。

プロの技を持った塾教師といえども魔法使いじゃない。結果を出すには、それなりに積み上げていく時間が要るのは変わりはしない。もしすぐにでもなんとかなりそうな気にさせられたらそれは幻想。甘い言葉にのって痛い目に遭わないようにご注意のほど。