月別: 2022年3月

中学受験という選択 3/28中国新聞「エール」より

新たな1年が始まった。目の前には「新」受験生が並んでいる。とはいえまだ5年生、明るく楽しくやっている。受験学年になったという認識はあるようだ。親に「もう受験生なんだから頑張るのよ」と言われるからだ。だが、この先の厳しい道のりを自覚し、わが身を奮い立たせるような子はまずいない。

むしろ、スイッチが入っているのは親の方だ。受験勉強の大変さを知っているから、志望校に受かってほしいから、心配でお尻をたたく。これから1年、これほど意識のギャップがある親子が、衝突を繰り返して受験ロードを進む。辟易して中学受験という選択に自信が持てなくなることもあるだろう。

受験生を教えていて一番楽しいのは、入試直前の1カ月間だ。もうすぐ入試が行われ、合否が出る。そんな審判の時を目前にした時期がなぜ好きなのか。それは子どもたちにとって受験がやっと自分のものになるからだ。

大人に言われ、渋々、嫌々、やっていた勉強が、なんとしても合格したいという熱を帯びて、主体的な学びに変わる。理解しようと前のめりに授業を聞く、問題が解けなくて唇をかむ、口に出して足りない知識を必死に覚える。これは受験が現実感を持って彼らに迫ってくるからだろう。

小学生という時期を考えると、中学受験を選択することで失われるものもあるのかもしれない。では、高い頂を目指す経験で得られるものはないのだろうか。私は、入試直前の子どもたちの姿にその答を見る。自らの意志で困難に立ち向かうことで人として成長するという側面もあるはずだ。

結果が良いに越したことはないが、結果だけが子どもを成長させるのではない。闘いの場に向かうまでの過程にも意味がある。その過程と結果を経験すれば、将来同様の場面で、必要な行動を選ぶ判断ができるようにならないか。

平たんな道をつまずくこともなく歩んでいては身に付かないものがある。負荷も必要だ。中学受験は子どもを成長させる坂道のようなものなのだ。

※今回で「エール」は終了です。