月別: 2021年6月

分からなければ考えろ 6/7中国新聞「エール」より

「分からない」がM君の口ぐせだ。彼は算数が大の苦手。算数の出来は入試の合否を左右するから何とかしたい。勉強の大半を算数に費やしているが結果は出ない。授業後も残って勉強しているのにどうしてだろう。

彼の様子を見ていて、「なるほど」と納得がいった。彼は、「分からない」を繰り返し、質問ばかりしている。質問と言えば聞こえはいいが、ただその問題の解き方を教わろうとしているだけなのだ。自分で考えようとしない。すぐに音を上げる。

担当教師いわく、彼は「ゲーム攻略本型」だそうだ。攻略本とは、ゲームステージをクリアするために、戦い方やアイテムの集め方などをまとめたもの。そこに書いてある通りにやれば難なくゲームを進めることができる。

M君は解き方を知りたいだけで、なぜそうなるのかを考えていない。答えを出すことが勉強だと思っている。本質を理解していないので、少し問題が変わるだけで太刀打ちできなくなる。応用も利かない。

算数が好きな子は真逆の反応を示す。解けないで苦しんでいるときに教えようとすると、「言わないで!今考えているんだから」とくる。時には時間もかかる。だけど、この考えている時間が楽しいし、自力で解けたら面白い。自分でクリアしたいから、攻略本なんて要らない。

片やなんでも教わろうとし、片やとことん考えてみる。態度が根本的に違うのだ。「わからなければ質問しなさい」も時と場合による。どのレベルで止まっているのか見極めなければならない。1から10まで教わると、自分で考えなくなることがある。

森博嗣氏が著書『勉強の価値』で、「人から教えてもらおう、と考えることで、『学ぼう』という主体性の大半が失われてしまう。自分の頭で考え、自分で試し、自分で体験するという楽しみを放棄している」と説いていたが、その主張は的を射ている。「分からない」に対して「考えろ」も、時には立派な指導となるのだ。